催眠療法士の日記

催眠療法や心理療法、スピリチュアルなこと、心と身体の関係についてなどを発信していきたいと思います。
乳がんの方にパーツセラピーを行いました。
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    乳がんの50代女性にパーツセラピーを行いました。この方は、2,3年前だったと思いますが、一度がん治療を終えたのですが、再発してしまいました。身体の痛みや病気は、身体からのメッセージという私の考えを説明し、受けてみたいということでやりました。

     

    催眠療法といっても色々やり方があって、暗示療法とか、インナーチャイルド療法とか、前世療法とかあるんですが、パーツセラピーというのは催眠療法のやり方の一つです。私はアドバンス・パーツセラピーの開発者の一人であるジェイミー・フェルドマン博士より直接教わりました。私たちって誰でも色々な側面があるものです。普段みんなでいるときはとても明るい性格なのに、一人でいるときはとても暗い性格だったり、普段はとても活発な人なのに、ある場面ではとても引っ込み思案になったり、普段はとても怖い人なのに、ペットの犬の前では急に赤ちゃん言葉になったりします。

     

    このようなものをサブパーソナリティー(副人格)と呼びます。これら副人格というものは、表向きはその人の役には立っていないように思われる副人格もありますが、どのパーツも必ず肯定的な意図というものを持っていて、その人にとって最善のことをしていると思っているのです。

     

    パーツセラピーではこれらのパーツが生まれた期限まで遡り、未解決になっている感情を癒し、役に立っていない行動を手放してもらい、新しい行動を与えていきます。

     

    この方のケースでは、この方を癌にさせているパーツに出え来てもらい、肯定的な意図を聞き、原因となった期限まで遡り、癒しを行い、新しい行動を与えました。

     

    この方は自分の感情を押し殺すタイプの人でしたが、過去の期限まで遡った時は、涙が止まりませんでした。パーツセラピーのワークでは、従来のインナーチャイルドワークのように、根掘り葉掘り聞くようなことはしません。その人が分かれば、私は分からなくてもいいのです。だから私にはそこで何が起きたのかはしりませんが、その人は分かったようでした。私はそこで子供の頃の自分を癒してもらい、癌にさせているパーツに今の行動を手放してくれるように頼んだところ、そのパーツは承諾してくれました。そして新しい行動として、健康な体にするよう頼んだところ、それも承諾してくれました。そしてこの行動をすることに反対するパーツがあるかどうか調べたところ、そのようなパーツもなかったので、催眠状態から出てもらい、その日のセッションを終了しました。その方は、自然と涙が出て止まらなかったことにとても驚いていました。催眠状態になれないと思っていたようです。

     

    その数週間後、メールをいただいたのでご紹介したいと思います。

    「先生、こんばんは。色々とアドバイスありがとうございました。ガンマナイフ治療何事もなく、終わりました。おかげさまで、悪いものはありませんでした。第一関門突破。自己暗示をかけながら、第二関門通過します。また、宜しくお願い致します。」

     

    「ガンマを受けている時、左脇が、軽くズキッとしていて、その時なぜだか、私の役目は終わったよ〜と言っているように感じたんです。本当にそうなるよう、意識を持っていこうと思います。」

     

    癌にさせているパーツのメッセージが分かれば、もうそのパーツはその行動を行う必要がなくなるんですね。このまま良くなってくれると私も信じています。

     

    また、癌に対して間違って刷り込まれた情報、癌になると死んでしまうとか、癌とは戦って一つ残らずなくさなければならないとか、マスコミや人に聞いた話などで潜在意識に刷り込まれたものを見なおすこともしました。(テレビなどでは毎日のように健康番組をやっていますが、私は病気に対して詳しくなりすぎるのはよくないことだと思っています。なぜなのかは潜在意識の特徴が分かれば理解できます。潜在意識は現実と想像の理解ができないんです。)このような信念は治癒を邪魔してしまいます。治療不可能と言われても、奇跡的に治るケースはありますし、癌細胞自体はどんな人でも毎日3,000〜5,000個のガン細胞が作られているんです。癌が悪いのではなく、免疫機構とのバランスの問題なんです。

     

    あとちゃんと治療をすることも必要ですよ。

    | sawasprit | スピリチュアル | 17:14 | - | - |
    がん患者さんへのパーツセラピー
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      先日、がん患者さんにパーツセラピーを行いました。

       

      ちょっとパーツセラピーについてお話します。私たちには色々な側面があります。穏やかな部分もあれば、攻撃的な部分もあったり、明るい面もあれば、暗い面もあったりします。そして一見あまり役に立っているように思えないようなパーツも、本当はその人にとって最善の事をしていると思っています。

       

      西洋医学では、病気というのは身体のどこかが悪いものという考えですが、私はそれとは別に、病気や痛みは、身体からのメッセージだと思っています。何か肯定的な意図があって、病気を作り出しているんだと思うんです。がんというのはインフルエンザにかかるように病気になるわけではないんですね。自分の身体がそうするんです。そのには何意味があるんじゃないでしょうか?

       

      どうしてこうなってしまったのかを考えるよりも、それが何のメッセージなのかを分かり、この経験を通して何に気づきかの方が大切だと思います。

       

      私はその方を催眠状態にして、がんにさせているパーツに出てきてもらいました。そしてこのがんの意味を聞いてみると、気持ちを抑え込まないでほしいということでした。そしてその期限まで退行催眠でさかのぼってみると、小学生の頃に戻りました。普通の退行催眠だと、そこで根掘り葉掘り聞くのですが、パーツセラピーではその人自身が分かっていればいいので、そこまで立ち入りません。私はそこで、子供のころの自分を抱きしめてもらい、今まで気づいてやれなかったことを謝り、これからは守っていくよと伝えてもらいました。

       

      その人は普段決して自分の弱みは見せないようにする人なのですが、その時は涙が止まらなかったようです。私はがんのパーツに、その人をがんにさせる役割をやめてもらい、これからはその人の身体を健康にしてくれるよう頼みました。そのパーツはその提案を受け入れてくれました。

       

      終わった後、その人は自分でもこんなに涙が止まらなかったことにびっくりしたと言っていました。でもその顔を見ると、来た時とは別人のようにすっきりしていました。

       

      来年から治療が始まるようですが、きっと大丈夫でしょう。潜在意識からのメッセージをちゃんと受け止めたのですから、もうがんにさせる必要はなくなったんです。

      | sawasprit | スピリチュアル | 23:23 | - | - |
      病気は身体からの大切なメッセージ
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        私は小学2年生の時転校生でした。

         

        その小学校で少し意地悪され、なかなか馴染めずにいました。

         

        でも、そのことを親に言うと、子供心に余計な心配をかけるような気がしたし、自分が弱い人間のような気がしたので、誰にも言えずにいました。

         

        そのうち、私は朝学校に行く時間になると、高熱を出すようになりました。母親が学校に休むことを電話で伝えると、熱が下がりました。

         

        私の潜在意識は、子供の私に熱を出させることで、私を守ってくれようとしていたんですね。

         

        体の痛みや病気には、必ず意味があると思うんです。潜在意識が、何かを伝えようとしてくれているのかもしれません。

         

        先日、ガンが再発した人がいました。この人は、とてもいい人で、自分の気持ちを抑えてでも、人に気を使うような性格の人なんですね。

         

        子供や親を心配させないように、まだそのことを言えないようです。「こんな時、思いっきり泣けたら楽なんだけどなぁ」と言いました。

         

        私には、その人の潜在意識が、「もっと自分の気持ちを大切にして」と言っているように思えました。その人は、頭痛や、脚のしびれ、アレルギーや、たまに気分の落ち込みもある人でした。

         

        潜在意識は、初めは小声で訴えてきます。それでも気づいてくれないと、大きな声で訴えてきます。それが今回の再発なんじゃないかと、私は思うんです。癌にさせてまでも気づいてもらいたかったんだと思います。

         

        癌はインフルエンザのように感染してなるわけではありません。自分で作り出したものなんです。

         

        私は、身体に痛みや不調がある時は、一人静かな所に行き、呼吸を整えてから、自分の内面と会話をします。「あなたは私を病気にしてまでも伝えたいことはなんですか?」と。

         

        潜在意識のメッセージを受け止め、押し込んでいた感情を適切に解放できると、不思議と良くなります。

         

        病気は敵ではありません。何か大切なことを教えようとしてくれているんです。私はそう思うんですね。

        | sawasprit | スピリチュアル | 16:21 | - | - |
        臨床催眠とショー催眠は違います
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          臨床催眠とショーとしての催眠には明確な違いがあります。テレビなどで行っているショーとしての催眠は、純粋に楽しむことを目的としたショーなのです。

           

          ショーとして催眠は、次のようなテクニックを使用します。

           

          まず、観客の中からボランティアを募り、ステージ裏で1,2杯飲み物を飲んでもらったりして自制心を軽減させます。この中には以前にも何度かやったことのある人もいて、そのような人たちは簡単に催眠にかかる場合があります。また、自分から進んで舞台に上がろうとする人達は、自分たちもショーに参加しようとしていることは明らかです。そして、ステージに上がる前に、参加者全員が自制心は舞台裏において置くように言われます。舞台でどんなことを行っても「催眠状態になっていた」という言い訳ができるのです。

           

          さらにこれらの人の中から、やる気のある人を5人くらい選んだあと、ショーが始まります。ショーが始まってしまえば、この人たちが本当に催眠にかかっているかどうかは問題ではありません。参加者たちは、催眠にかかっているかもしれないし、催眠にかかっていると信じているかもしれないし、あたかも催眠状態にあるように演じているのかもしれません。一旦ステージに上がると、「ショーを壊してはいけない」という強力なプレッシャーがかかります。

           

          スヴェンガリ効果と言って、催眠状態にある人に、本人の意思に反したことをさせることができるというこがあるのですが、ありえません。催眠状態で自分の意志がなくなるということはなく、催眠状態でも、自分にとって何が正しく、何が待ちがっているかは理解することができます。

           

          研究によると、自分にとって本質的に利益となる範囲内の暗示にのみ従うということが分かっています。

          | sawasprit | 催眠療法 | 15:13 | - | - |
          催眠療法の歴史(その5)
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            クーエの評判は、母国フランスでは絶大なものでした。多くの人が自己催眠の効果を体験し、その恩恵に浴しました。しかし自己催眠の理論をアメリカに広めようと渡米したクーエは、大きな間違いを犯しました。アメリカでの活動をすべて興行師にまかせてしまったのです。興行師は自己催眠をたんなるおふざけとして利用しました。クーエが開発した暗示のための文章は、語呂合わせの冗談のタネにされました。ここでも大衆の意識が催眠を受け入れるのに十分ではなかったのです。そして催眠は再び奇怪現象のようにあつかわれました。

             

            つづく50年間、催眠の歴史にこれといった進歩はありません。ただ、第一次世界大戦中と大戦後、麻酔薬の供給が底をついたドイツ軍はペインコントロール(無痛状態にすること)と戦闘神経症の治療に催眠をとりいれました。

             

            そのような時期でも催眠を研究し、研究結果を発表しつづける科学者はいました。なかでも特筆すべきはアメリカの心理学者クラーク・ハルです。ハルは”Hypnosis and Suggestibility”(催眠と被暗示性)という本を1933に出版し、この本の中で次世代の若者たちに向けて催眠の研究を推奨しています。

             

            第二次世界大戦と朝鮮戦争の時代に、催眠は再びペインコントロールと心の病を癒す手段として利用されました。そして医学の分野では催眠を応用しようという興味が次第に高まっていきました。1958年、米国医師会が療法としての催眠を承認しました。これが大きな分岐点となり、認められては闇に葬られるという繰り返しだった催眠は、この時以来安定した発展を続けています。ようやく催眠が認められるようになったのです。催眠はもはや神秘的な力を持った特別な者の技ではなくなりました。催眠に関する書籍は数多く出版されるようになり、自己催眠のテープも人気があります。イメージトレーニングやリラクゼーション療法、誘導瞑想なども催眠の応用系なのです。今日では、このように催眠は私たちの日常生活に定着しています。

            | sawasprit | 催眠療法 | 17:28 | - | - |
            催眠療法の歴史(その4)
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              19世紀末、心理学者のフロイトが催眠に興味を持ちました。でもそれは長続きしませんでした。彼は催眠をすてて心理分析を選びました。それでもフロイトの「自由連想」テクニックは名前を変えた催眠だとの意見をもつ専門家も多くいます。1901年、医師であるウイリアム・W・クックは彼の著書の中で次のように語っています。

               

              ”催眠はもっとも実践的な科学だ。日常生活に無理なく取り入れることができ、他にはない長所がある。催眠の実践はもはや娯楽のための暇つぶしではなく、専門家がその価値を認め、科学者がその信憑性を認識している。この技術は長年休眠状態にあったが、今では次世代に引き継ぐべき研究だと認められている。催眠を学ぶことは、神秘と奇跡のベールをはいで、知識を明らかにしていくことに似ている。その可能性は無限に等しい。生活のあらゆる側面とかかわっている。催眠家になるために何年も勉強することはない。この貴重な技術は私たちが生まれつき持っている才能であり、才能を開花させるために必要なエネルギーをそそげば使うことができるのだ。”

               

              クックはさらに、その後の90年間はヒプノセラピーの黄金時代になるだろうとも言っています。20世紀の初頭、フランスの薬剤師エミール・クーエが偉大な発見をしました。「目覚めているときの暗示」と彼が呼んだ自己暗示の効用です。クーエの暗示で有名なものに「毎日あらゆる意味で、私はますます向上している」というものがあります。クーエは暗示に関して次のように説明しています。

               

              ”肉体の痛みでも、どんな種類の痛みでも、痛みを感じたなら一人になれる場所にいって静かに腰かけよう。そして目を閉じる。心の痛みなら手で軽く額をなでる。肉体の痛みなら痛い部分にふれる。そして「この痛みは消える。この痛みは消える」と繰り返す。この言葉に反対する思考が入り込む隙もないくらいに素早く繰り返す。反対する思考が入り込まないので、自分でも「この痛みは消える」と思えるようになる。頭の中に定着した思考は本人にとって現実となるので、実際に痛みが消えてなくなる。もし痛みが戻って来たら、同じことを10回、20回、50回、100回、200回と必要なだけ繰り返す。痛みに苦しんで1日中愚痴を言っているよりも、「痛みは消える」と言っている方がずっといい。”

               

              クーエはまた、実際に催眠の効果を生んでいるのは催眠家が与える暗示ではなく、クライアントの意思であることに気づきました。クライアントが暗示を受け入れなければ何も起こりません。つまり「すべての催眠は自己催眠である」という発見をしたのです。さらに彼は暗示の法則も開発しました。この法則をクーエの弟子チャールズ・ボードウィンが体系化し、現在でも十分に通用する法則となっています。

              | sawasprit | - | 16:08 | - | - |
              催眠療法の歴史(その3)
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                ジェームス・エスデール博士(1818〜1859)は、ブレイドの個人的な友人であり、仕事上の同僚でした。インドのカルカッタにあった東インド会社に派遣されていたとき、彼は催眠がもたらす麻酔効果を外科手術に応用してみました。すると手術中の死亡率が5%以下に低下したのです。それは驚異的な数字でした。インドに滞在中の数年間、エスデールは催眠麻酔の技術にさらに磨きをかけました。イギリスに帰国した彼は、インドでこれほど効果をおさめた技術はイギリスでも同じ効果を発揮すると思っていました。

                 

                ところがそうはなりませんでした。なぜかというと、インドではスピリチュアル的な概念や、瞑想の習慣が当たり前に浸透していたのです。だからインド人には催眠を受け入れる文化的な素地があったのです。しかしイギリス人はそうではありませんでした。教会は大衆に、苦しみは人に与えられた尊い試練だと教えていました。苦しみは耐えてこそ美しいとされていたのです。インドでの成果をイギリス医学界に発表したエスデールはあざけり笑われました。そしてエスデールの行為は自然に反するものだと学会は主張しました。神は人間に苦しみを与え、その苦しみは魂の浄化と人格の形成には不可欠だと考えられていたのです。イギリスに帰ったエスデールは、あざけりと傷心のうちに残りの人生を送りました。

                 

                19世紀半ばに薬品麻酔が実施されるようになると、医師たちも苦しみに対する考え方を改めました。なぜか突然必要以上の苦しみは尊いことではなくなってしまったのです。ビクトリア女王がクロロホルム麻酔によって出産を滞りなくすませたので、王室はこの新たな薬品を承認しました。苦しみを称賛していた教会も口をつぐみました。医師たちは手当たり次第にクロロホルムとエーテルを使いだしました。みんながそれを欲しがったので、看護師も軍医も、事務員までもが手術前に魔法の薬を投与しました。布に含ませて顔にのせるのですね。手術の途中ではさらに他の薬品も使われました。このような新しい薬に対する人体の許容限度などという知識はまだありませんでした。すると今度は、麻酔によって死亡する患者が出てくるようになりました。

                 

                しかし、薬品麻酔の人気はとどまることを知らず、本来なら見直されるべきエスデールの業績は、忘却のかなたに葬られてしまいました。そして催眠は再び怪しげな見世物に逆戻りしてしまうのです。

                | sawasprit | - | 16:37 | - | - |
                催眠療法の歴史(その2)
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                  メスメリズムを科学的に研究した最初の医師は、イギリス人のジェームス・ブレイド(1975〜1860)でした。祭りの出し物として実演されていたメスメリズムを見物していた彼は、こんなものはいかさまに違いないと確信しました。そして、いかさまであることを証明しようという動機からメスメリズムに真剣に取り組みました。ところが研究を進めるうちに、かえってこの手法にひきつけられてしまいました。友人と実験を繰り返したブレイドは、催眠の意識状態を誘うためには、瞼が重くなることが不可欠だという結論に達しました。また、被験者の期待が高まっていると、暗示を受け入れやすくなることも発見しました。「催眠」という言葉を最初に使ったのはブレイドです。催眠という言葉は「眠り」を意味するギリシャ語の「ヒプノス」に由来します。ブレイドは、催眠という言葉は誤解を生みやすく正確ではないと気づき、一つの考えに集中するという意味の「monoideism」に変えようとしましたが、すでに催眠(ヒプノシス)という言葉が普及してしまっていました。私たちが今でもクライアントを催眠から戻すときに、目覚めるという言い方をしているのはこの影響なのです。

                   

                  ブレイドは、催眠家がいなくても催眠が可能であることを発見しました。視点を1点に固定して見つめ続けると目が疲れて瞼が重くなる。すると自然に催眠に入るのです。また、「あなたはとても眠くなりますよ」という言葉を被験者にかけると、このプロセスが短縮されることも分かりました。ブレイドの業績で特に重要なのは次の2点です。

                  1、オカルトの一種と考えられていた催眠に、信憑性を与えるきっかけを作った。

                  2、催眠のパワーは被験者本人にあり、催眠家には補助的な影響力しかないことを証明した。

                  | sawasprit | 催眠療法 | 15:17 | - | - |
                  催眠療法の歴史(その1)
                  0

                    古代エジプトにあった「眠りの寺院」では、僧侶が信者を眠りに誘導してから病気を治療する暗示を与えていました。このとき僧侶が用いた手順は、私たちが現在「催眠誘導」として使っているものとよく似ています。この手法は紀元前4世紀にはギリシャに伝わり、その100年後にはローマに伝わってローマ帝国内で継承されました。

                     

                    祈祷師、シャーマン、メディスンマンたちはいつの時代、どの文化にも存在しました。だから「暗示、眠り、癒し」という概念がヨーロッパに伝わった年代を特定するのは難しいのですが、その概念は各時代の文化を反映して変化しつつ存在していたのです。

                     

                    1世紀の初頭、「手の技」として認められた技術がありました。その心理療法としての価値が広く受け入れられたのは、証聖王エドワード(1042〜1066)が自らこれを使用し承認してからといわれています。彼は手を触れて人を癒すことにたけていました。この療法は評判となり、イギリス教会は「治療の際に適切な聖歌と詠唱を欠かさなければ、それは正しい治療法として祈祷書にも書かれている」と承認し、「手の技」は公に認められました。当時は教会のいうことに間違いはないという時代でした。

                     

                    しかしその後イギリス君主がこの療法に興味を失うと、民衆もそれにならいました。やがて「暗示による癒し」の評判はがた落ちとなり黒魔術とみなされるようになりました。文明社会でそれを行うのは魔術師か妖術師とみられました。中世の人々はこの技を恐れました。催眠についての誤解が数多く生まれたのはこの時代なのです。

                     

                    高名なフランツ・アントン・メスメル(1760〜1842)がフランスに登場したときも、大衆は好意的ではありませんでした。しかしメスメルはあきらめませんでした。そして彼のメスメリズム(動物磁気説)はフランスの貴族たちの間で人気を得て急速に広まりました。現在の私たちから見れば、メスメリズムは暗示以外の何物でもありませんが、そにかくそれは効果がありました。最盛期には1日に3000もの人がメスメルに触れてもらおうと彼のもとを訪れました。ここでも、大衆の意識と見解をリードしたのは特権階級でした。

                     

                    しかし彼の挑戦的な態度と激しい性格が禁欲的な人々の怒りをかい、メスメルをねたむ医師やそれに同調する政治家の集団が、メスメルを調査してインチキを暴こうという委員会を組織しました(ベンジャミン・フランクリンもその一員でした)。それはメスメルの追放という不幸なかたちで決着しました。だが彼の理論は引き継がれて、今日では一般的となっている集団の心理療法やイメージ療法などの基礎となっています。ただメスメルがあまりにも強烈な印象を残したので、その業績は黒魔術の色彩が濃いものとなってしまいました。

                    | sawasprit | 催眠療法 | 16:09 | - | - |
                    私は今日、人助けをしました。
                    0

                      今日は予約が入っていなかったので、お休みにして千葉ニュータウンのジョイフル本田に行きました。行く目的はペットショップにいるお気に入りの鳥に会うためです。千葉ニュータウンのジョイフル本田に着き、まずは1000円分のガソリンを入れました。ここの給油所はとても安くて毎回行くたびに必ず1000円分を入れるのが恒例になっています。ガソリンを入れ、お気に入りの鳥と30くらい戯れ、特に買うものもなかったので、流山に帰って来ました。

                       

                      流山に帰ってきて、ビールが家にないことに気づいてので、近くのスーパーに行き、ビールを買い、お金を出そうとしました。今日はお財布に15,000円を入れていました。さっきガソリンを1,000円分入れたので、14,000円残っているはずです。でもお金を払おうとしたとき、1万円札しかないことに気づきました。一瞬何が起きたのかわからなくなりましたが、すぐに気づきました。ジョイフル本田で1,000円分ガソリンを入れるときに、5,000札しかなかったので、5,000札を入れたのです。そしてそのお釣りを取るのを忘れたんですね。流山からだと千葉ニュータウンまで1時間以上かかります。私はこのように考えてみることにして、あきらめることにしました。

                       

                      ”小笠原健二48歳は、5年前、仕事で失敗し、その責任を取らされ会社をクビになりました。それでも妻の京子は「気にすることないわ、私も働くし、きっとなんとかなるわよ」と励ましてくれました。その言葉に励まされ、健二は何とか頑張ろうという気になっていました。でも悪いことは続くもので、未成年の無免許運転の車に妻の京子ははねられてしまい、命をおとしてしまうのです。その犯人は大物政治家の息子で、事件はもみ消されてしまいました。健二は絶望で苦しみ、自殺しようとさえ思いました。でもそれを思いとどまらせたのは、今年小学3年生になる息子の芳雄がいたからでした。この子の為に生きなければならないと、健二は昼は日雇いの肉体労働、夜はコンビニで懸命に働き、息子の芳雄を養っていました。それで今健二には大きな悩みがありました。この秋に、芳雄の小学校では遠足があり、その遠足代の4000円がどうして払えず、芳雄を遠足に行かせることができそうになかったのです。健二は悩み苦しみました。自分の不甲斐なさに落ち込みました。「4,000円を出してやることができずに、芳雄をみんなと一緒に遠足に行かせられないなんて、俺はなんてダメな父親なんだ」ときに貧困は人を変えてしまいます。健二は決心しました。「もうこうなったら、ガソリンスタンドの自販機を壊して、お金を強奪してやる」健二は10万円で買った中古のカローラに乗り、千葉ニュータウンのガソリンスタンドに行きました。ここまま車で突っ込んで、自販機を壊してお金を奪おうとしました。アクセルを踏もうとしたその瞬間、健二に聞き覚えのある声が聞こえました。「あなた、バカなことはやめて・・・」そう言う妻京子の声が聞こえました。健二はそこで正気を取り戻すことができたのです。健二は泣きました。「俺はなんて馬鹿なことをしようとしていたんだ。こんなことをしても芳雄は喜んでくれない」健二はもう一度頑張ろうという気になりました。そしてふと目をあげると、何やら自販機のところに紙のようなものが見えました。涙で曇っているのでよく見えません。涙を拭い、もう一度よく見てみると、お金がそこにあるではありませんか。健二は車を降り、恐る恐る手を伸ばしお金を取りました、「1,2,3,4・・・4,000円あるじゃないか、ああ、神様!!」健二は神様がそのお金をくれたものだと確信し、ありがたく頂戴しました。そして無事に、息子の芳雄は遠足に行くことができ、健二もその後良い就職先が見つかり、その後も親子仲良く過ごしたのです。”

                       

                      私はあの4,000円で、人助けをすることができたのです。私はあの親子の神様になったのです・・・・そう思うことにして、あの4,000円はあきらめます。

                       

                      ・・・・そして、この話には続きがあります。その夜、私が寝ていると、神様が私の前に現れました。神様は右手に4千円、左手に4万円を持って私にこう尋ねます。「君が今日忘れたのは、こちらの4千円ですか?それともこちらの4万円ですか?」正直者の私はこう答えました。「私が忘れたのはこちらの4千円です」。それを聞いた神様はこう言いました。「君のような正直者は、わしゃ大好きじゃ。君にはこの4万円をあげるよ、ほれっ。」と言って私に4万円を差し出しました。私が「えっ、でも」と躊躇すると、神様は、「人の行為を無駄にしちゃいけないよ、覚えておきなさい。さぁ、早くしまって」といって、強引に4万円を私に渡しました。こうして、私の4千円は、4万円となって、戻ってきたのです。ああ、めでたしめでたし。

                      | sawasprit | プライベート日記 | 21:00 | - | - |
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